大判例

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東京高等裁判所 昭和57年(ラ)68号 決定

抗告人 大川タミ 外四名

主文

一  原審判を取消す。

二  本件を宇都宮家庭裁判所へ差戻す。

理由

一  抗告の趣旨及び理由

本件抗告の趣旨は、「原審判を取消す。本件を宇都宮家庭裁判所大田原支部に差戻す。」との裁判を求めるというのであり、その理由とするところは別紙抗告状抗告の理由欄記載のとおりである。

二  当裁判所の判断

1  抗告人らは民法九一五条にいう「自己のために相続の開始があつたことを知つた時」とは相続人において被相続人の死亡の事実を知り、かつ、自己が相続人であることを知つたことに加えて、少くとも積極財産の一部または消極財産の存在を確知した時をいうと解すべきであると主張する。

そこで検討するに、民法は主として、被相続人の債務をその意思に反して承継することによる不利益から相続人を保護するため、相続人にその相続について選択の自由を与えることを目的として、限定承認及び相続放棄の制度を設けるとともに、相続人において相続財産の有無ないし範囲を調査し、かつ限定承認又は相続放棄の申述をするか否かを考慮するため三箇月の猶予期間を設け、限定承認又は相続放棄をしようとする者は原則として右期間内に限定承認又は相続放棄の申述をすべきものとしている(民法九一五条一項)。したがつて、右期間は相続人が相続財産の存否を調査するためのものでもあるから、民法は相続人において相続財産の存在を知らなくとも右期間が進行することを予定しているものといわざるを得ない。そうすると、民法九一五条一項にいう「自己のために相続の開始があつたことを知つた時」とは、被相続人が死亡し相続が開始されたことを知り、かつ、自己がその相続について相続人となつたことを知つた時のことをいうと解すべきである。そして、相続人が民法九一五条一項の期間内に調査を尽したにもかかわらず、右期間内に相続財産の存在を知ることができず、そのために相続財産が全く存在しないと信じ、かつ、そう信じるについて過失がなく、またそのような事情にあるため右三箇月の期間につきその伸長の申立をする理由を見出すことができずその機会を失したこと等の特段の事情が存在するときは右期間経過後といえども相続財産の存在を知つた後遅滞なく限定承認ないし相続放棄を申述することが許されると解するのが相当である。

2  本件記録によれば、抗告人大川タミは被相続人大川正史の妻、その余の抗告人らは正史の子(ただし、抗告人大川良男は養子)であるところ、正史は昭和三二年ころ抗告人らと別居し、黒磯市内で他の女性とともに居住して建設業を営んでいたこと、正史は昭和四〇年前後ころ事業に失敗して右女性とともに出奔したが、その際正史は抗告人大川タミが耕作していた正史所有農地を担保にして借金していたため、同抗告人において農協から借金をして買戻した一部の農地を除きその余は人手に渡つてしまつたこと、正史は右出奔のころからその消息を絶つていたところ昭和五六年五月黒磯市内○○病院からの連で抗告人らははじめて正史が同病院に肝硬変と白血病で入院中であることを知りその後二、三度正史を病院に見舞つたが、正史が重態のため話ができなかつたこと、正史は同年五月二一日同病院で死亡し、そのころ抗告人らは右事実を知つたこと、抗告人らは右のような経緯に照らし正史から相続すべき財産は何もないと考えていたところ、同年一〇月末ころ正史の債権者と称する坂上茂から正史の公正証書上の債務合計金六一九一万三一七五円を支払うよう催告を受けて驚き、同年一一月二〇日宇都宮家庭裁判所大田原支部に相続放棄の申述書を提出したこと、以上の事実を認めることができる。

上記認定事実によれば、抗告人らは昭和五六年五月二一日ころ自己のために相続開始があつたことを知つたのであるから抗告人らが同年一一月二〇日に至つてした本件相続放棄の申述は民法九一五条一項所定の三箇月の期間経過後になされたものであることは明らかである。

3  ところで、上記認定事実によれば、抗告人らが民法九一五条一項所定の期間内に本件相続放棄の申述をしなかつたのは、その当時被相続人の相続財産の存在を知らなかつたためであることは明らかであるから、更に進んで前記特段の事情の存否について審理すべきところ、原裁判所がその挙に出ることなく、本件相続放棄の申述がいずれも右三箇月の期間経過後になされたものであることを理由にして抗告人らの本件相続放棄の申述を直ちに却下したことは、民法九一五条一項の解釈を誤りひいては審理不尽の違法を犯したものといわざるを得ない。

4  よつて、本件については更に前記特段の事情の存否について審理を尽くさせるため、原審判を取消した上本件を宇都宮家庭裁判所に差戻すこととして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 森綱郎 裁判官 藤原康志 小林克已)

抗告の理由

一 事実関係中、抗告人(申述人)らが被相続人の妻子であつて、いずれも被相続人が死亡した昭和五六年五月二一日頃には同人が死亡したことを知つており、かつ、本件申述がそれから三か月を経過してなされたものであることは、原決定の認定通りである。

二 しかしながら、民法第九一五条一項にいわゆる「自己のために相続の開始があつたことを知つた時」とは、相続人において被相続人の死亡の事実及び自己が相続人であることを知つたときを意味する、とする原決定の認定は誤りである。以下その理由を記す。

1 憲法違反の主張

わが民法は、相続の承認及び放棄について、原則を単純承認とし、限定承認及び放棄を例外としている。

かかる立法がなされた原因は、要するに、親の債務を子が返済しないことは、家の恥辱であるとか、孝道に反するとかいつた封建的社会道義がその基底にあり、できうる限り、子に親の債務を返済させようという考慮が働いた為と思われる。

言うまでもなく、かかる社会道義は、憲法第一三条第一項や同第二四条第二項に定められた個人の尊重、個人の尊厳の理念に反する。立法論的に言えば、憲法の右の如き理念に合致させるためには、外国の立法例にあるように、限定承認を相続の原則的形態にすべきである。

もつとも、民法も、期間の制限つきながら限定承認や放棄も認めており、民法自体を違憲と言うことは難しい。しかしながら、民法第九一五条以下の条文についての知識がそれほど国民一般に普及していると思われない現状では、被相続人が債務超過の状態にある場合、原決定の如き解釈だと、相続人は限定承認や放棄の如き手続を知らず、従つて、そのような手続を経ないから相続人に事実上単純承認のみを強いることになり、その意思に反して巨額の債務を負担させることになるから個人の尊厳を犯すことはなはだしいものがある。

よつて、かかる結果を招来する原決定は違憲である。

2 相続の根拠との関連について

(一) 大阪高等裁判所は、本件類似事業について次の通り判示している(昭和五四年三月二二日大阪高等裁判所第一二民事部決定、家裁月報三一・一〇・一六)

「相続を認める現行法上の根拠は、古い『家』制度の維持にあるのではなく、主として遺産の中にある相続人の潜在的持分財産の払い戻し、ないし遺族の生活保障と被相続人の意思にある。したがつて、積極財産を相続人が承継することは潜在持分財産の払い戻しにも当り、生活保障に有益であつて、被相続人の意思に副うといえるけれども、債務(消極財産)を相続により承継させることは、もとより財産の払い戻しではないし、通常被相続人の意思にも反し、相続人の生活保障にとつても有害無益である。

・・・・・・中略・・・・・・

「民法九二〇条が遺産の承継を認めているのは、相続人が、その自発的意思に基づいて遺産債務を承継する場合があることと、相続人が被相続人の積極財産のみを承継して債務を承継しないことを許しては公平を失し、一般債権の共同担保となつている一般財産としての積極財産のみを債権者から取り上げることになつて債権者を著しく害するからにほかならない。・・・・・・中略・・・・・・ただ、相続人が積極的に債務承継を認めることは差支えないのであつて、遺産が債務のみで積極財産皆無の場合における債務承継の唯一の根拠はここに求めるほかないのである。」

・・・・・・中略・・・・・・

「前示相続の根拠及び民法全編を通ずる個人の尊厳ないしその意思の尊重の要請並びに民法九二〇条の「単純承認をしたとき」との文言に照らすと、単純承認は相続人の自発的意思表示に基づく効果であり、同法九二一条による単純承認の擬制も相続人の意思を擬制する趣旨であると解すべきである。したがつて、とくに遺産が債務のみの場合には相続人が通常この債務を承継してその支払いを引き受ける自発的な意思を有することは稀なことであるから、その債務承継の意思の認定ないし擬制を行なうについては特に慎重でなければならない。」

(二) 右の判示は、「本法ハ個人ノ尊厳・・・・・・ヲ旨トシテ之ヲ解釈スべシ」とした民法第一条の二に適合する妥当なものと言わねばならない。しかして、右判示からすれば、債務の相続は、相続人が債務承継の積極的意思を表明した場合か、もしくは、これと同視できるような事実があつた場合にのみその擬制ができることになる。後者の擬制をなすためには、単に、相続人において、被相続人の死亡の事実を知り、かつ自己が相続人であることを知りながら、長期間放置しておいただけでは足りず、これに加えて、消極財産の存在を知りながら、なお放置を一定期間続けたという事実が必要であろう。かかる場合にのみ、外形上、相続人は債務承継をする意思をもつていたと認定できるからである。

(三) かく解すれば、民法第九二一条第二号の単純承認の擬制を認める前提として民法第九一五条を前掲判例にもある通り、「民法九一五条一項の『相続の開始があつたことを知つた時』といわんがためには、相続人において、被相続人の死亡の事実を知り、かつ自己が相続人であることを知つたことに加えて、少なくとも積極財産の一部または消極財産の存在を確知することを要する」と解釈するほかないのである。

3 債権者の保護について

前掲判例の如き、従つてまた、抗告人の如き解釈をとつた場合に、債権者の保護に欠けるのではないかという見解もありうるが、右判例はこの点につき次の通り判示しているのでこれを全部引用する。

「債権者は相続開始の後できるだけ早い機会に、相続人となるべき者に対し、相続債務の存在を通知することができるし、またこの通知をすることこそ信義則に合致するものであり、右通知を受けてから三か月の熟慮期間内に相続放棄の申述をしない相続人となるべき者については、民法九二一条二号による単純承認があつたものとみなされるのであるから、前示解釈を採ることによつて債権者の保護に欠けるという非難は当らない。」

4 相続放棄の受理の適正を欠くとの非難について

原決定は、「相続財産の内容までも知つたときから熟慮期間が進行するとなると始期があいまいとなり、相続放棄の受理にあたり適正を期すことができなくなるおそれも生ずるものと思われる。」旨判示した。しかしながら、

(一) そもそも、原決定のような解釈をとつたところで、始期は必ずしもはつきりしない。相続人たるべく予定されている者が被相続人と同居している場合はともかく、遠隔地に居住している場合には、被相続人が死亡した事実を知つた時期は、相当にあいまいなものとなる。それが故に、原決定も、熟慮期間の始期を特定の日とはせず、五月二一日「頃」と認定しているのである。そうだとすれば、始期のあいまいさは、原決定の解釈によるも、抗告人主張の解釈によるも五十歩百歩であり、特に前者の解釈をとるべき理由にはならない。

さらに言えば、3項記載の如く、債権者は相続人となるべき者に対し、相続債務の存在を通知できるのであるから、この通知を配達証明付内容証明郵便で発送等すれば、抗告人主張の解釈のほうが、かえつて始期を明確にできる場合もあると言える。

(二) 仮に、始期について、「相続財産の内容を知つたとき」との要件を加えたところで、原決定に言うが如く相続放棄申述の受理の適正が問題となるほどそれが「あいまい」になるとは考えられない。抗告人らは、日本の裁判所の事実認定の能力に高い信頼を置いており、この程度のことで、相続放棄の受理の適正が欠けるとは到底思われない。

(三) また仮に、百歩譲つて、相続放棄の受理に若干の問題が起きるとしよう。かかる場合に、当事者の誰が損害を被るであろうか。前述の通り、被相続人の債権者は、内容証明郵便等により、始期の立証は可能である。相続放棄の申述者にとつては、もちろん、何の損害もない。かくて、誰にとつても何らの損害はないのである。原決定は、「適正」という文言にとらわれた形式的発想と言えよう。

三 原決定が認定しなかつた事実については、原審での相続放棄申述書中「申立の実情」の記載を全部引用する。右事実を、第二項記載の解釈にあてはめれば、本件相続においては積極財産らしきものはなく、抗告人らが消極財産の存在を知つたのは昭和五六年一〇月末であるから、同年一一月二〇日になされた本件申述は、熟慮期間内になされた適法なものであり、受理すべきである。

四 前述の通り、抗告人らを始めとする一般の国民は、法律的には無知であり、その意味で、社会的弱者の地位に立たされている。ところが、ある程度の法知識を有する債権者は、右の如き実債を把握し、被相続人の死亡直後はそしらぬふりをしておき、死亡後三か月を経過してから、おもむろに債権取立をするという狡猾な手段をとる(本件における被相続人に対する債権者がそうだとは断言しないが、少なくともそう疑われてもしかたのない時期に請求している。)このような不正義を、法は容認すべきでない。横田喜三郎元最高裁判所判事が説かれた如く、法は弱者のためにあるのであつて、債権者にも通知という手段を与えることによつてその権利行使を確保させると共に、反面、弱者たる相続人たるべき者に対しても消極財産の存在を知つた後という実質的な熟慮期間を与えるべきである。

五 よつて、本件相続放棄の申述の受理のため、抗告の趣旨記載通りの裁判をなすよう求める。

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